第二章:大野木麗、その言葉遣い


 というわけで第二章、麗ちゃんの特殊な言葉遣いに迫ってみたいと思います。

 特殊な言葉遣いといっても、この業界はセンチメンタルグラフティの永倉えみるを筆頭に無茶な言葉遣いの人は多いです。大抵のゲームには妙な言葉遣いをする子が一人ぐらいはいるでしょう。
 が、彼女の場合は言葉そのものでなく文の組み立て方が妙なのです。

 数少ない彼女の台詞のうち、特に彼女を特徴づけているのが、
「ちっちゃかったので、みえなかったわたしなのですね」
です。この台詞が出るのは望シナリオのエンディングで、主人公と望が夜に夫婦の営みをしようとしているところへ突然あらわれ、主人公の膝の上に抱かれている彼女を見てそんなことを言ったわけです。これは望が全く成長してないという事実を考えると、意地悪して言ったのでなく本当に見えなかったと思われます。
 さて、この台詞。望のことを言っているのにも関わらず“〜な私”という文章、つまり自分を中心に据えて述べています。普通はこんな言い方しません。
 ここから単純に、文字通りの“自己中心”的な性格を読みとるべきでしょうか。なるほど、管理人室のドアをノックもなしに開けるというところからもそのような性格が見えます。

 しかし、それだけでしょうか。同じく本編中の台詞に
「…おなかすいたので、ごはんが欲しいわたしなのですが…」
というものがあります。この文章、常識的に考えれば「私」という言葉を使わずとも意味は変わりません。もちろん『他の誰でもない、この「私」こそがお腹空いているんだ』とのアピール、すなわち自意識が高いという解釈も可能ですが、ならばもうちょっとワガママに振る舞うのが妥当でしょう。ところが彼女の態度からは、どうもそういう感じは伺えません。
 これは確かに自己愛もありますが、それとは少しずれた意味で“自分という存在をアピールしたい”という欲求からきていると考えます。
 どういうことかと言うと、自己中心なのは確かですが、そういう風に物事を考えないと自己の存在が見えなくなる、という感じでしょうか。

 なぜこう考えられるのか。(論者の趣味ということもありますが、それは脇に置いて)
 そのカギは「映画」にあります。映画(に限りませんが)は、基本的に登場人物Aと登場人物Bと……の話であり、スクリーンのこちら側の人間には居場所がありません。そう、映画にとっては観客の存在などいらない、と言えます。(もちろん観客がいない映画もまた存在する理由がないのですが、ここでは考えない)

 さて映画の主人公に感情移入し、同化することを繰り返した彼女は、自分自身のものでない感情に浸ることに慣れすぎてしまい、自分が大野木麗だという自己意識に乏しくなったことが過去にあったのではないかと考えます。これを極端な重症にしたケースに、Kanonの倉田佐祐理がいました。自分を(自分自身にとってすら)特殊な存在と思えなくなり、自分のことを突き放して名前で呼ぶ。

 彼女はあそこまで重症ではなかったでしょうが、ともかく自分のことを自分にとってすら特別なものだと思えなくなったのでしょう。
 しかし、だけどそれは嫌だ、という心理がどこかで働いたのでしょうか。(これをさざなみ寮に入った後だとすれば、なかなかいいお話になりそうです)そんな感情と理性のせめぎ合いの中間点が、あの言葉遣い。自己を中心に据えて喋り、思考することによって脆弱な“自分が自分であるという意識”を守っているのではないかと考えます。

 さて、私は第一章において「寝起きが悪い」=「起こしても起きない」と書きました。ここまで読めば分かるでしょう、寝ているところを起こしたら怒る大野木麗像、というものは浮かんできません。彼女は「努めて自己中心に振る舞おうとしている」のであり、本質的なところでは自己愛から遠いところにいる人間です。
 もっとも「起きない」ということを積極的に支持する要素も本編中からは見えませんが、「起こさない」=「起こしたくない」か「起こしても無駄」の二択であると思うので、「起こしたところで起きないから、誰も起こそうとしない」と考えます。いい夢を。

 彼女を構成する根本的な要素「映画が好き」その理由は、それこそ想像するしかないので考えません。「面白いから」で充分でしょう。もちろん、無理矢理暗い方に捉えて「恵まれない家庭環境のせいで現実逃避のために見たのが最初で云々」などということも考えられますが、無理に暗い方に考えても仕方ないでしょう。
 ……しかしこれは、自己意識が薄いという話と結構噛み合うので少々惜しい気もしますが。

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 さて彼女は言うまでもなく、さざなみ寮に住んでいます。その時点での住人は、耕介・愛・薫・十六夜・知佳・美緒。そしてここでしか出てこない、さとみ・ティム・修平・勇・愛の旦那。このような人たちが住むさざなみ寮に居るために絶対必要なこととは、何でしょうか。
 第三章では、そこに迫ってみたいと思います。

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