ひがわり娘

2001年5月16日〜5月31日


ひょんなことから同居する漫画。(5月17日)

 ちょっと前に、講談社と小学館の漫画大賞が発表されてましたね。
 でまあ小学館の方はどうでもいいとして、問題は講談社の方。一般部門が『20世紀少年』(浦沢直樹/小学館)なのは妥当でしょう。読んだことないけど、かなり絶賛されている面白漫画のようです。俺としては早いところ『MONSTER』に決着をつけて欲しいところだが(ちなみに小学館の漫画賞は『MONSTER』が受賞してます。素晴らしい)。

 問題は、少女漫画が『フルーツバスケット』(高屋奈月/白泉社)で少年部門が『ラブひな』(赤松健/講談社)だということ。かたや「何の取り柄もない女の子が、ひょんなことから美少年三人と同居するお話」こなた「何の取り柄もない男の子が、ひょんなことから女子寮の管理人をするお話」。いいのか。

 もちろん『フルーツバスケット』と『ラブひな』では、中身が全く違うという指摘を無視するわけにはいかないでしょう。フルバが当初の設定からは全く考えられないほど骨太なシリアスをやっているのに対し、ヘタレハーレム漫画のまま走っているラブひな(ラブひなファンの方、もしいたらごめんなさい)。

 大人の事情ってやつですかねぇ。講談社の賞なんだから、一本ぐらいは自社から出さないとメンツが保てないとかそんな感じで。
 でも講談社の少年漫画に限ったって、なにも最近とみにつまらなくなってきたラブひなにあげなくてもいいようなものだが。他にいくらでもあるよね? 俺的には『魁! クロマティ高校』(野中英治/講談社)とか。クロ高に賞をあげたら、講談社もある偏ったスジの方に「これぞ漢」などと見直されそうな気がするんだけどなぁ。
 あと、どうせラブひなと同じベクトルなんだから今が旬の『ちょびっツ』(CLAMP)という手も……いや、CLAMPはもう受賞してそうな気がするなぁ。あ、漫画賞って、不文律として「同じ作家は複数回受賞しない」ってのがあるようなんですよね。


VOWネタってやつですかね。(5月18日)

 こんなメールが来たですよ。

ここに入るために無賃な登録しなさい :
www.haveattitude.com/email/japanese/

、それから、あなたはシドニーまたはハワイの7日の宿泊及び航空券を含まれてすばらしい休日か$5000現金を当たる幸運な勝者であることができる。

入るためにクリックして下さい: http://www.haveattitude.com/email/japanese/

 どうですかみなさん! 何を言いたいのかおぼろげながらしか分からない怪しげな文章! 興味を引かれた葩稍さん、いざ怪しげなサイトへ行ってみました。
 そうしたら、いきなりトップページで飛ばしてくれます。

この調査の所産がオンラインコマースと新技術の将来を形作て資する、 そしてあなたの助けの代りに US$5000 現金に勝つ別のチャンスがある。 5次点の人々は$100 にそれぞれ勝つ。2001年の五月に調査の上がりの後に、優勝者の名前を引くつもり

 もはや、何を言いたいのか察することすら不可能に近い文章です。これ、英語に明るい人ならいったん英語にした方がむしろ分かりやすいのかもしれませんね。最後の方の「調査の上がり」って多分“end of research”とかそんな感じの言葉なんじゃないかと。たしかに“end”は「上がり」だよな。
 しかし「US$5000 現金に勝つ別のチャンスがある。」現金5000ドルに勝つのか。日本円にして60万円ぐらいの現金。大抵の人ならひれ伏すその額に、私は勝つことができるのですか! もう5000ドルの札束を鼻で嗤って「私の心をお金でかせるとでも思ったのですか」なんて冷ややかな台詞を吐くことができるのですか!
 そして最後には「優勝者の名前を引くつもり」。つもりってアンタ……

 これがまあアンケートに入っても「あなたのを選びなさい」と言いつつ「ジャパン」しか選べないなどとツッコミどころも多いのですが、ここでクドクド言ってもそれは百合に金メッキをするようなもの、暇な方はどうぞアンケートに答えてあげて下さいね。

 ネタをありがとう、どこか分からない会社さん! 思わず最後までアンケートに答えてメールアドレスまで登録してしまいましたよ葩稍さん。

 …………………………もしかして、思うつぼってやつですか?


パクったんじゃないもん。(5月19日)

 きのうネタにした、謎のメール。これと同じものを受け取ってネタにしているページがあると、読者さんより報告をいただきました。土踏まずさんです。リンク先の「くるぶし」内5/18。なお、実際には5/17中に書かれた文章だそうで。ぬう、まるで俺がパクったみたいだ。
 もちろん報告してくれた方もそう言っていますが、あのメールは多数に送られてるわけですから同じメールを受け取ることもあるでしょうし、見たらネタにしたがる気持ちも同じくあるでしょう。ネタがかぶったというのは偶然というよりむしろ必然。

 ……だからパクったんじゃないもん。
 でも、向こうの方が数倍面白いという事実には少々へこむのでありました。あう。やっぱあーゆー書き方は文体と噛み合うと破壊力あるなぁ。俺は文体と噛み合わないから使わないけど。


感情移入という観点から見たラブひなvsフルーツバスケット。(5月19日・その2)

 『ラブひな』(赤松健/講談社マガジンコミックス)と『フルーツバスケット』(高屋奈月/白泉社花とゆめコミックス)(以下、フルバと略します)。今年の講談社漫画賞を受賞したこの両作品、どちらも何の取り柄もない主人公が多くの異性と同居する話、という点において一致します。それしか一致しないというのはこの際どうでもよろしい。
 一般的に言って少女漫画や少年漫画というものは、何の取り柄もない、ごくごく普通の人物を主人公に設定して読者に感情移入させます。読者が自分自身をその主人公に投影するわけですから、完全無欠のスーパーマンではいけないわけですね。
 ですが、本当に何の取り柄もないだけの人物を主人公にして物語を創るのは難しいし、説得力も持たせづらい(ことにラブひなやフルバでは、登場する異性のほぼ全員が主人公に好意を持っているという無茶な状況に説得力を持たせることが必要)ので、ここで主人公を主人公たらしめる個性を与える必要があります。

 ラブひなの主人公、浦島景太郎には「優しさ」が与えられました。
 フルバの主人公、本田透には「前向きさ」が与えられました。

 ちょっと面白い話ですね。実はラブひなに限らず少年漫画の主人公は、おおむね優しい人物です。フルバに限らず少女漫画の主人公は、おおむね前向きな人物です。まあ冷たい少女漫画の主人公や後ろ向きな少年漫画の主人公もいないのですが、少年漫画において主人公唯一の取り柄が「前向き」であることは少ないのですし、少女漫画において以下同文。

 ともあれ読者はそれに感情移入をする。そのような取り柄ならば自分も持っているはずだ、あるいは自分でもそのような行動ならばちょっとの勇気と状況次第で出来そうだ。そう考えて憧れ半分、親近感半分で楽しく読むことができるのです。
 つまり、世の男性は「優しさ」ならば自分にも努力次第でできると考えていて、女性は同じように「前向き」なら自分にできると考えている、と推察されるわけです(もちろんその全く逆、そのような取り柄を持っている人物になりたくてなりたくてしょうがない、でもできないからせめて漫画の主人公に感情移入することによってその欲求を満たすという場合もありますが、ラブひなもフルバもその例ではないように思います)。

 そして、そのような取り柄だけを持っている人物が登場する多くの異性に好意を持たれるという状況。読者はそれを説得力のあるものとして受け取ることができる、つまり世の異性はそれに弱いとも考えているフシが。
 女性が「男は結局明るくて前向きな子がいいと思ってる」のようなことを思っているかどうかは女性ならざる私には分かりませんが、たしかに世の男性には「優しさ丸出しっぷりをアピールすればナオンなど入れ食いじゃよ?」という信仰がありますね。それがどれだけ事実を指しているかは分かりませんが。

 むろん、「優しさ」が時に「意気地なし」に過ぎなかったり、「前向き」が単に「考えなし」でしかないことも多々ある、ということは覚えておくべきでしょうね。海援隊の『贈る言葉』でしたっけ?「求めないで、優しさなんて。臆病者の言い訳だから」。

 とはいえ、なぜ前向きな人物が好意を持たれるのかをストーリーに組み込んだフルバと、ストーリー上でそのようなことを全くしていない、ただただ理由なくモテまくるラブひなとではどちらが面白いかというと……ねぇ。


イチロー球宴決定ってヲイ。(5月20日)

 18日金曜のサンケイスポーツなんですがね、一面見出しにはこんな文字群が踊っていました。

史上最高得票だ
イチロー
球宴決定

 まあ実際にはオールスターファン投票の中間発表が30日になされると決定して、イチロー史上最高得票が取れる可能性がないわけではない、という程度のことなんですが。

 さて本日のネタ……といきたいところですが、一日中家の裏にある竹藪で竹を切ってたので、ちょっと頭そのものが回りそうにないんです、はい。というわけで本日は開店休業でした。
 やっぱ明日かあさってぐらいには筋肉痛で苦しむんだろうなぁ。あう。


「……」と「・・・・・・」。(5月21日)

 そーいえば、昔『渚の「…」』って曲がありませんでした? こう書いて「なぎさのかぎかっこ」って読ませるとは、やはり秋元康というかなんというか。
 ……じゃなくてね、ここで話題にしたいのは、かぎかっこの中身である「……」の方。うちのATOKだと「てんてん」って入れると出てくる、例のアレ(頻繁に使うから登録しちゃってるんだわ)。

 まず前提。“一文字分のスペースに点が三つある「…」をふたつ並べて点六つで表記するのが正しい表記である”。とはいえここで言う正しい表記ってのは、そういう決まりだから大人しく従え的な規則にすぎません。文字サイズのバランスが根拠なんじゃないかな。「・・・・・・」よりも「……」の方が間っぽいと昔の人が判断したとかそんな感じで。
 もちろん上の文章を見て分かるとおり、そんなの見た目からじゃほとんど変わらないんですよね、インターネットの場合。だから好きな方を使えばそれでいい。むしろ文字の間隔からいって「・・・・・・」の方が好ましいんじゃないかなぁ。

 なんで突然こんなこと言いだしたかといいますとね、よそのページで

「・・・」じゃなくて「…」が正しいんです、まあ無知を罪とは言いませんよ。言いませんがね、そのような恥ずかしい行為は控えたらどうだねHumn?(アメリカ人っぽく肩をすくめて)

 っぽいことを主張してる人がいるんですよ。いやいいんだけどねー、なんか若き日の自分を見ているようでかなり恥ずかしい気分を味わってみた次第。やってる人は真面目に怒って憤ってて、だけど公平な視線で見てる自分をアピールしたくてしたくてしょーがないんだろーけどねー。
 そこまで含めて同じ道を通ってきた自分にとっては痛くて痛くてしょうがないんですよぅ。痛すぎるんでどこのページかはナイショ。

 あ、そうそう。「・・・・・・」はいいんですが、それを縮めようとして半角にしちゃうのはダメですからね。私もつい最近に聞いて気づいたんですけど、「・」ってカナモードで入力するじゃないですか。で、カナモードで入力した文字を半角にする。そう、それはつまり半角カナです。インターネットで半角カナは使っちゃいけないんですよー。いや、現実的にはブラウザ上では何の問題もなく見えるんですが、メーラーにはまだまだ文字化けを起こすものがあります。
 具体的には、うちで使ってるでじこメーラー。半角の「・」は確実に化けて出ます。あな恐ろしや恐ろしや。


私をお読み!(直訳)(5月22日)

 某友人の発言。「『ココロ図書館(1)』(高木信孝・黒田洋介/電撃コミックス)を買ってきました。葩稍くんはやっぱりココロちゃんですか」
 ピンポイントで正解するの禁止。

 さて本日の話題、気づいてる人は気づいてると思いますが、このページは「Readme!」っていうランキングに参加しています。文字中心の、読み物ランキングってやつですね。くわしくは一番下の方にアイコンがあるので、クリックしてみてください。

 しかしこのランキング、アイコンを表示すれば一票(ただし、複数回表示しても複数票にはならない)って計算をしてるんですよね。そう、読んで面白かったから一票じゃなくて、単に表示させれば一票。つまりなんだ、内容よりもタイトル勝負なのか?
 まあこれでいい点取ったところで自己満足にしかならないからそれでいいんですけど、でもやっぱり票が多いとちょっと嬉しいので、うちはちょっとズルしてます。いや、ほとんど全ページにアイコン張ってるって程度のズルなんですが。ええ、検索エンジンで飛んできて「『ひがわり娘』って小坂俊史関係ないやん」とか呟いてさっさと帰っても一票。検索エンジンで「おねしょ」「CG」ってやって3/23のひがわり娘が引っかかっても一票。なかなか痛快なズルっぷりです。

 ただ、すっごく気になるのがランキングで最下位付近、一日あたり1票ってサイト。常連がいないとかそういう問題じゃなくて、自分すら見てないんじゃないのか、それ。


きめてきめて、チャンピオン編。(5月24日)

「『フジケン』と『エイケン』、絵に迫力があるのはどっち?」
「にばーん!」
「はい、正解です」

 それがむしろ正解だろう、『エイケン』(松山せいじ/週刊チャンピオン連載)。ていうかおかしいよこの漫画。内容としては、よくあるラブひなフォロワーの女の子いっぱいハーレムラブコメとでもいった感じなんですが。
 たとえば女の子が座るときは常に地面に膝を立てて座り、スカートの裾をさばくなどという無粋なことは一切なし! もちろんはいてるのはミニスカートであり、それも普通のミニではありません。普通に歩いていても腰が揺れれば中身が見えるだろうキミィなどと言いたくなるようなマイクロミニ。もちろん全員もれなくそれを穿いているのは、言うまでもない当たり前の事実。
 そして何より、おかしさが炸裂してるのは女の子たちの顔ぶれ。
 まずヒロイン。88のF。これで紹介が済むのもどうかと思うものの、実際それ以外の個性が与えられてないのだから仕方ない(でも88のFっておかしくないか?)。
 今週号で主役をやっていたチャイナ系の娘(財閥の令嬢)。
 スポーティーな長身の娘。
 マッドらしい天才科学者。
 ……ここまではまだいい。問題は残りの二人。
 中身は淋しがり屋の女の子らしい、クマのぬいぐるみ。
 巨乳の小学生。

 もう一度書こう、「巨乳の小学生」。どうも111のHらしい。

 お前それは違うだろう、こういうハーレムものに小学生出すなんてことになったら、その子には「私も大きくなったら××先輩みたく胸が大きくなるのかなぁ」「な、なれるよ、多分」「なんで視線をそらすんですか」というお決まりな台詞を言わせなければならんだろう、それがこーゆーお色気漫画における小学生の役目だろくらぁ!
 ……などと憤った台詞もこの絵の前には黙るしかないという、無駄に迫力のある絵。このまま無茶しっぱなし、常にギアはオーバートップのままで突っ走れば何かの間違いでブレイクするかもしれない、そんな漫画であります。ラブひなが漫画賞とっちゃうぐらいだからなぁ。

 とりあえず、エイケンネタは明日にも続きます。題して「あなたの熊度が許せません」とかそんな感じで。


あなたの熊度が許せません。(5月25日)

 きのう、Readme!の更新記録に「エイケンとフジケン、絵に迫力があるのはどっち?」「にばーん!」って書いたら(逆に書いちゃったよ)、Readme!から流れてくる人が普段の5倍いました。……もしかして、エイケンって人気者?

 ともあれ、『エイケン』(松山せいじ/週刊チャンピオン連載)。ヒロインの一人に、こんな特徴を持った娘がいます。「中身は恥ずかしがり屋の女の子らしい、クマの着ぐるみ」。

 そう、クマの着ぐるみを着てれば恥ずかしくないということなのでしょう。なんだっけな、昔、どこぞかのドラマで「自分の正体を隠すために、生まれたときから鉄仮面をかぶって生活していた」ってのがいなかったかな? それに通じるものが。さらにいうと、『私立T女子学園』(竹田エリ/集英社)って四コマ漫画に全く同じ設定の男がいまして。ええ、恥ずかしがり屋だからクマの着ぐるみを着て生活してるんです。

 まあそれはともあれ。おそらくこの漫画ですから、中の娘っ子が品乳ということはあり得ないでしょう。ええ、やはり102のGとかそのぐらいのスタイルをしてまして、やはり主人公が転んだ拍子に胸を揉みしだいたりするのでしょう。とはいえこの漫画、胸のインフレが起きているのでその程度のことで読者のハートをがっちりとキャッチすることは不可能です。なぜならその程度のこと、この漫画では日常の挨拶程度に行われると考えるべきでしょう。新キャラはとりあえず胸を揉みしだかれないと話に加われないとかそんな方向性で。
 いかん、この娘ならではのシチュエーションを用意しなくては、小学生やヒロインやマッドな科学者に押されてだんだんと影が薄くなり、いつの間にか永遠の世界に連れていかれてしまう!(※註1)
 というわけで、着ぐるみに着目してそのテのシチュエーションを考えてみましょう。たとえばなんかの拍子に一緒の着ぐるみの中に二人とも入って体中まんべんなく密着。たとえば着ぐるみのままプールで溺れてしまい、それを助けた主人公が人工呼吸などをたしなむ。
 ふむ、着ぐるみに着目すれば案外いろいろなシチュエーションが考えられます。もしかしたらこの着ぐるみ娘、シチュエーションに恵まれればブレイクする、かも。

 しかし、着ぐるみ生活。これからの季節は暑くなるので、着ぐるみの中に入ったままだと恋の病(※註2)にかかりやすくなるので要注意。いや、それこそお色気シーンの出番ですか? 汗で体中を濡らしている女の子は色っぽいのですか? 小刻みに震える紅い紅いクチビルがボクをボクを誘って(やめい)

※註1・永遠の世界に連れていかれる:「そういえば、××って最近見かけないよね」
「××? 誰それ?」などと、初めからいなかったことにされてしまう。

※註2・恋の病の症状:主人公のことを想うと、心臓がドキドキして頭がクラクラ、
体温は急上昇、汗は噴き出し喉が渇き、意識がスゥーっとしていく。
学名:脱水症状
(『私立T女子学園(5)』より)


夏コミ落ちちゃった。(5月28日)

 ども、土曜の夜に中学の同窓会で呑みすぎ、二日間ほとんどダウン状態だった葩稍さんでございます。

 さて、ヤングマガジン連載の『ちょびっツ』(CLAMP)が。……そーかー、コンピューター・ウィドウ(「ウィドウ」=「widow」=「未亡人」。つまり、旦那をコンピューターに取られてまるで未亡人みたいな状態になってしまった奥さんのこと。ところでこの「××ウィドウ」って、最初はどこから出てきた言葉なんでしょうか?)か。予想通りとはいえ、やっぱりこーゆー変にシリアスな話になっちゃうのね。でもさあ、「コンピューターと生身の人間、どっちがいいですか?」比べた時点ですでに間違ってるってことに、いいかげん気づこうよ。

 だからさ、CLAMPはストーリーいらないから可愛い女の子だけ描いてりゃいいのにね。つーかそれがメインなんだってばぁ。「ちぃの小首をかしげてちょこんと座ってる姿がちょおらぶりぃなの〜(はぁと)」なんて会話の方がストーリー考察より面白いと思うんだけどなぁ、ことにCLAMPの場合。
「♪もともとちょびっツってキャラ萌えだって割きってりゃCLAMPもPeaceだったのに! 俺たちもPeaceだったのに! 最低これから一冊分地味なまんまらしいぞ〜!」なんてVIVRASTONEの『Never come back』の替え歌など思いついてしまったが、誰も知らないから意味なし。あう。

 ともあれそれはそれ、そんな『ちょびっツ』の単行本2巻が出ます。いや来月の29日だからだいぶ未来の話なんですが、1巻同様に初回限定版があるようです。ええ、1巻の限定版はなんでもマウスパッドが付いてきたらしいんですよね。で、大勢のヲじるしがいざ買わんと思った結果、どこもかしこも売り切れが続出。発売日の午後にはどこにもなかったという伝説を持つ、そんな『ちょびっツ』初回限定版。もちろん2巻でも同じ状況になると思われます。さて、それを予約なしで手に入れることは可能なのか?
 可能なようです。
 なんでも友人Yによると「1巻の初回版が予約なしで普通に買えた」とか。ただしここで言う普通とは、発売日の10時ちょっと過ぎぐらいに自宅から数十キロ離れた書店(職場とも全く近くない)へ行き、最後の一冊を入手することを指すようです。普通か。そうか、それが普通なのか。じゃあ普通以下のことしかやらない俺が手に入れることなんか不可能だよなぁ。
 でもでも、2巻の初回特典は携帯ストラップらしいんですわ。俺は携帯持ってないから別にいいかなぁ、なんて思ったものの、どうもそのストラップはすももの人形らしい。notちぃ。……やべえ、欲しくなってきた。んー、じゃあ俺も「普通」に振る舞えば買えるのかな?


「戦争は素晴らしい、だからもっとやろう」(5月30日)

 ……なあ、ここここの日記、それぞれ5/28と5/29を総合するに、5/27に『プライベートライアン』がテレビ放送されたみたいだけど……本当? ていうか正気か? あんなの公共の電波に乗せていいものなの?

 あの映画をごらんになった人ならご存知でしょう、あの映画の冒頭30分はスプラッタ映画はだしの残酷描写です。淡々と映し出される脚のない死体、自分の腕を拾い上げようともがく虫の息の兵士。死体、死体、死体! あれがゴールデンタイムの放送倫理にかなうのなら、もう何も怖いものはない! 来週のこの時間は『ギニー・ピッグ』をお届けします!
 それはともかく、おそらく反戦ものなのでしょうね、『プライベート・ライアン』。あれを見て戦争をやりたがる人だなんてどこにいるのだろう? ああ戦争はいやだ。

 ところがこの映画、残りの1時間半はうって変わって「戦争は素晴らしい、だからもっとやろう」という主張に変貌します。一人の男を助けるために自分の命をいとわない男たち、男臭い戦争好きな部隊長! ああ、あんな素敵な人たちの中で生死の境というスリルをくぐり抜けるだなんて、なんと戦争は面白そうなのだろう! 大丈夫、死ぬのは俺じゃないし隣にいる戦友でもない、サディストの敵兵だ。どんな窮地に陥っても、最後はどこからともなく援軍がやってきて助けてくれる!
 この映画の後半部分はそう主張しているように見えませんか? そう、戦争とは素晴らしいもののために戦うことなのだ! 敵軍はみな悪人だ!

 いや、戦争娯楽ものなら戦争娯楽もので俺だって好きですよ?「リトルジョン、先頭を歩け!」とか「フェイスマン、農薬をドラム缶に一杯用意できるか」なんて台詞は実にニヤリとさせてくれます。
 俺が気に入らないのは『プライベート・ライアン』が反戦ものと銘打たれてること。もし本当に反戦ものにしたかったら、見ている人に戦争の愚かさなり怖さを伝えるべきでは? なのにこの映画は、格好いい人たちが格好よく戦って勝利する映画です。そう、戦争のような極限状態に行けば俺だって格好よく振る舞えるんだ! はやく起きないかなぁ、戦争。

 反戦ものの映画は『プラトーン』と『ハンバーガー・ヒル』にとどめを刺すと聞いています。
『プラトーン』は見たことないんですが、『ハンバーガー・ヒル』は実によくできた反戦ものです。意味のないもののために戦い、死んでいく兵士達。ようやく心が通ったと思えば死んでしまう戦友。雨の中泥だらけになり、やっと占領した拠点は取ったところで何にもならないような丘、明日にはベトコンに取り返される。戦争に勝ってそれが何だというんだ? せめて故郷の恋人のために戦っていると思えればまだ救われるのに、それすらも叶わない。

 戦争はバカバカしいものだ、いやだ。

 個人的に、反戦ものが伝えるべきメッセージはこれだと思う。死ぬとか殺すからどうとかそういうことでなく、単純に「戦争なんかいやだ」という言葉。
 だから『プライベート・ライアン』だって冒頭30分のままで終わったら、それはそれでものすごい反戦ものといえたと思う。それが映画として面白いかどうかはさておき。
「観客を飽きさせないためには、面白い物語にすることが必要だ。反戦一本槍ではダメなんだ。それでは面白いものにならない」って? いえいえ、「面白い」と「反戦」は同居可能ですよ。『ハンバーガー・ヒル』は実際間違いなく面白い映画でした。『プラトーン』も面白い映画であると聞いています。

 もうちょっと一般的に言いましょうか。メッセージ性を持つ物語が同時に面白い物語であることは、何ら矛盾するものじゃありません。面白く脚色した結果メッセージ性が損なわれたというのは、単に脚本家なり監督なりの言い訳に過ぎません。だって損なわれてない作品も多いんだから。
 面白い部分と、メッセージ部分。たとえばそれを別パートにして両立させたのが『フルーツバスケット』で、融合させたのが『ねがぽじ』。で、メッセージそのものが面白いのが『MOON.』。やっぱりよくできたメッセージを内包してる物語ってのは、ここら辺のさばきかたが上手いんじゃないかなぁ。


原作もののゲームは……あ、キャラゲーってのがあるか。(5月31日)

 どーでもいいが昨日のひがわり娘、だめ人間計画さんの日記の解釈が大きく間違ってるよな、俺。結局件の映画はテレビでやったのかなぁ。過去のテレビ番組なんてどうやって調べればよいのやら。

 映画といえば前々から不思議に思ってるのだけど、どうして映像関係の人って物語にお金をかけたがらないんだろう? 原作つき映画は珍しくもなんともない。ていうかそうでない方がむしろ少数くさい。その逆、原作つき小説は……いや、あるけどかなり少ない。
 なぜだろう。

 不思議じゃないですか? もともと小説のために描かれたストーリーをわざわざ映画に直してるの。それで映像にすると見栄えのしないシーンとかの変更をすると、原作のファンに怒られるの。それで大抵の場合「原作読めば十分」って評価をされちゃうの。わざわざ損にしかならないことをやってるような気がしてしょうがないんですよねぇ、原作つき映画。

 一流品の映画は映画にするために原案とか脚本とかを作っているから、全てのシーンが映画として見栄えがする。なのに原作つき映画は(たとえば)小説のために描かれた物語だから、映像にしてみると地味で地味でしょうがないシーンが重要だったりもするわけでして。そこを映像的に書き換えると物語全体が変質しちゃったりもする。だいいち文庫本一冊の小説が2時間の映画に収まるわけがないから、重要度の低いシーンは削られる。ひどいときには登場人物が数人いなくなる。なのに同じように物語を進行させようとした結果、「なんだか何かが足りない」という、分かったような分からないような状況になってしまうのも必然。

 ……どうです? 原作つきの映画が面白くなるわけがないって気がしませんか? そして事実はそれを裏付けています。原作つき映画で原作以上に面白いものってありますか?
 原作つき映画がつまらないというのは、制作側が脚本で楽をしようと考えたしっぺ返し以外の何物でもないと思うがどうよ。


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