そもそも、彼女の性格は話の途中で変わっていないだろうか。借りを作るのが嫌いだというが、そもそも主人公と出会ったきっかけは何であった? 初対面である主人公に関西弁で話しかけたのは、後半のストーリーから離れてないだろうか?
これは「物語上の要請」や「制作側がうっかりしていた」では済まない問題である。というのも、これはこれで辻褄が合ってしまうからだ。
後半の小難しい話と共に彼女のキャラクター性と信念が明らかになっていくが、そもそもの出会いがあれであった以上、どうにも彼女の発言には説得力がない。つまり、こういうことだ。彼女はそのような信念を持っている(と自分では思っている)が、いざ動く時には信念など放り棄てて人に媚びた行動をする。
つまり、彼女にとって「信念」とはその程度の物なのだ。
「信念」をその程度に扱っている人間を私は好きにはなれない。
さて、では制作側が(おそらく)こう意図したであろうようにまどかを読んでみよう。つまり出会いのことを一切忘れて、彼女の発言をそれなりに信じる。そして同級の友人などに対してはその信念を曲げて接しているからこそ、交流が今ひとつうまくいかない。そんな中で唯一主人公に対しては自然体で接することが出来る、そう読んでみよう。
その場合でも、彼女の行動はおかしくないだろうか。
そもそも、彼女の言う「真面目」とは何だろうか。しかつめらしい顔をして黙っていることだろうか? そしてそんな「真面目」にのっとり、冗談の一つも言わずに土いじりをすることを要求する。そして「冬の間はただの作業だからつまらない」のようなことを言う。
それは確かにつまらないだろう。しかしそれは、土いじりそのものが面白くないことに由来するつまらなさではない。
だいいち、彼女自身つまらないと思ってやっているのだろうか(植物や土に心があったなら、どう思うだろう?)。彼女は一人で土をいじっている時もこうなのだろうか。冬の間でも、今こうして世話をすれば春には花が咲く、それを想像して楽しまないのだろうか?
答は後半に明かされる。彼女は園芸の向こうに幸せな家庭を追憶しているのだ。家族で花壇の世話をしていた頃、それが彼女の求める幸せということらしい。
つまり彼女は、過去を取り戻したがっているのだ。未来において過去のような幸せを得ようとは考えない。
要するにストーリーとしては、葉月やONEの茜と異工同句だ(もっともそれは、決して悪いことではない。同じ材料を別の方法で料理しているのだから)。
確かにこのストーリーはそういうストーリーである。彼女は園芸を趣味と言うよりも逃避として使用している。だからこそ人間関係が上手くいかない(ハーフだ関西弁だというのは言い訳に過ぎない。まあ考えて欲しい、今どき関西弁を喋ったからといってその人に対して何らかのイメージを持つだろうか? せいぜい「あ、関西弁だ」という程度ではないか?)、そう主張しているストーリーだ。
では、ここで問題が生じる。彼女は主人公によって救われるのだが、なぜ主人公に対しては自然体なのだ? どう考えても分からない。彼女は初対面からそうであった。結局、このシナリオは何をどう考えてもそこに行き着いてしまう。
ところで、話中で和泉が彼女を見て綺麗な金髪だとか言い、それがのちにコンプレックスの一部であることにつながるという伏線が張ってある。だがしかし、このゲームで髪の色に言及するのは明らかにおかしくないだろうか。まどかが金髪であることを認めた場合、みかなや千波はどうなってしまうのだ? それとも、千波は気合いの入った不良なのか? みかなは髪の毛で光合成でも行うのか?