……何の罠なんでしょうか、この子は。冷静に分析すると、最近のギャルゲーで必須科目となっている「幼なじみ」を「鈍くさい」方面に特化したキャラクターであり、言うならば「長森瑞佳」を「水瀬名雪」並のクロック数に落として赤面症という要素を付け加えた、となるわけですが……
ストーリーは、はっきり言ってどこにでもある普通の物語です。他のお話ならば、めぐみちゃんの立場は和泉の妹でなく親友あたりが定番でしょうか。「自慢の妹だから」は「〜ちゃんはいい子だから」とでもなるわけです。楓云々という脇のストーリーも、このシナリオでは何の意味も持ちません(楓は、千波と葉月のストーリーにおいてのみ意味がある)。
では、このシナリオのどこが優れているのでしょうか。
私は、細かいエピソードの積み重ねがなされている点だ、と考えます。つまりみかなや葉月で指摘したことがしっかりとなされているということです。朝のドタバタを繰り返したおかげで、和泉がどういう子なのかがはっきりと分かる。
私はキャラクターをプレイヤーに印象づけるためにはエピソードの数が物をいう、と考えます。もちろん数少ないエピソードで強烈に印象づけるという手法を使っているゲームも多いのですが、そのために必要な「印象強いエピソード」は、このゲームにおいてはほとんど存在しません(これはどのシナリオでも12月24日には誰かがずぶ濡れになって体を温めるために主人公の家へ、という同じことをやっていることも無関係ではない)。百歩ゆずって葉月の「鳩」でしょうか。
ともあれ、このゲームは全体的に細かい日常生活の描写が充分になされているとは言いづらいので、唯一日常生活がきっちり描き込まれている和泉の印象が強くなるのは必然だと思うのです。