「ずるい」、この一言につきます。このシナリオは辻褄や伏線などの全てを捨てて、泣かせること一点のみに集中しています。
もちろん、話のほころびは多いです。大元の“沢渡真琴”について全く描かれていない、結局真琴を教育する話はどうなったんだ、“憎んでいる”ことが話に全く生かされていない、結果が分かってから伏線張ってる、「結局、ぴろって何者なの?」云々。
しかし、私はあえて言いたい。「それがどうした」。
このコーナーの存在意義に関わる言葉ですが、ここまで泣ける話である以上、この言葉で片づけたい気分です。
ただ、ラストのラスト、「奇跡」はどう考えても蛇足。
たとえ奇跡が起きても、真琴は戻ってくるべきではありません。簡単なことです。戻ってきて、また森に帰っての繰り返しでは感動もへったくれもありませんし、じゃあ真琴が人間としてずっと暮らしていくとするなら、途中で投げ出してしまった「真琴を教育する」ということをやり直さねばなりません。年齢は不詳ですが、あのまま大人になってはいけないことぐらい分かるでしょう?
そう、真琴は死ぬという大前提があったからこそ、のんきに「ちりんちりん」などとやることが許されたのですし、なにより、ここで真琴を喪失して、主人公と天野が人間的に成長した方が物語としてまとまるでしょう?
物語に幕を引くべきポイントもはずしていない、そこも秀逸です。
さて、話を真琴シナリオに戻しまして。
一つ知っていて欲しいのは、この話はよくある「サナトリウム文学」以外の何物でもない、という事実です。もちろん今時サナトリウムものを描く人などいないので、大抵の人は知らなくて新鮮に読めたことでしょう。別に昔はもっといいものがあったんだからそっちを読め、などと言う気はありません(今とは時代が違うから、ピンとこないだろうし)ただ、別に新しくはないんだよ、と。それだけです。
正直言って、このシナリオには感服しました。実力ある人の力業、それがどういうものなのかを思い知らされた次第。
ちなみにキャラクター評価が低い理由は、後半別人になっちゃってるのと、趣味の問題です(おい)