川澄舞

シナリオ評価6 / キャラ評価6

一言総評:考えれば考えるほど泥沼。


 この子のシナリオに触れるならば、まず第一に考えねばならないことがあります。そう、ラストシーンは何なのか。死んだ人があんな簡単にポンポン生き返って、あれは現実にあったことと考えるべきなのか?

 まず、ラストシーンを大きく二つに分けましょう。前半と後半、すなわち三人で一緒に暮らすシーンと、卒業式のシーン。

 もちろん、前半三人で一緒に暮らすシーンは主人公の妄想に決まっています。はっきりと明記されていたはずですし、佐祐理があんなママゴトみたいな同居生活を親に許されるはずがありません。

 では後半部。卒業式のシーンは何なのか。
 まず、自殺したはずの舞、そして佐祐理(余談ですが、この子の怪我の状態を示す文章に「外傷がないのがせめてもの幸い」のような言葉がありました。そして頸椎損傷。すなわち、外傷はなくとも深刻な後遺症が残る、ということを言っているように考えられます)がなぜあんなにピンピンしているのか。こう考えてはどうでしょうか。
 生き返ったと仮定した場合、生き返らせたのは舞が子供の頃に捨てた超能力、すなわち魔物。さてそもそもなぜ魔物が生まれたかというと、魔物がいるのなら主人公と別れずに済むという考えからでした。ならば魔物とは、舞の「誰かと一緒にいたい」という願望を舞の超能力が具体的な形にしたもの、と言えます。だから今度は超能力を魔物という形でなく発揮し(目的は一緒だ)、その力によって彼女たちは生き返り、日常生活を取り戻した……

 おそらく、制作側はそう考えてこのシナリオを描いたのだろうと思います。なるほど、これだけ見ると筋は通っていそうに見えます。
 ですがここで大きな問題、舞は自殺したのです。自分の力が佐祐理を傷つけたという事実に直面し、その罪悪感に押しつぶされる形で自殺してしまったのです。舞の性格上、たとえ佐祐理の傷が癒えたとしても自分自身を許しはしないでしょう。つまり舞の力が佐祐理を癒す、それはいいとしても舞自身が癒されるとは思えません。
「魔物は、既に舞のコントロールを離れていた。つまり超能力は既に舞のコントロールを離れている。ならば舞自身の意志とは関係なく癒されていいはずだ」
 なるほど、それはあるかもしれません。しかしそれを認めたとしても、舞は何度でも自殺を繰り返すことでしょう。

 そしてもう一つの大きな問題。舞は、卒業を待たずに退学になるでしょう。1月30日における、舞の暴れっぷり。あれで卒業できるような学校ではないはずですが。

 以上の理由から、ラストシーン、舞が自分の体に剣を突き立ててから最後に至るまで、この全ては主人公の妄想と考えるべきに思います。
 あれも妄想、これも妄想という解釈は安易な上に面白くないのですが、このシナリオをきちんと読めばそれ以外の解釈はちょっと思いつきません。

 さて、ラストを考えないとするとこの話、途端に言うべきことがなくなってしまいます。なぜか。そう、あまりに途中経過の印象がないのです。たとえば舞のことを描くにしても、ほとんど喋らない一方で野犬を助けたりというわざとらしい優しさの描写。全てどこかで見たことあるようなお話なのです。このシナリオ、シナリオ全体の評価には6をつけていますが、これはラストシーンの印象が濃いからであって、それを抜きに途中経過に点数をつけるなら4です。4=「プレイした時間返せ」。

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 ところでこの話、とらいあんぐるハート2の仁科知佳と比べてください。明らかにこのシナリオがネガティブ指向で描かれていることが理解できると思います。
 この話の大前提として“誰もが舞の超能力を気味悪がって受け入れてくれない、受け入れてくれたのは母親と主人公の二人だけ、世界でたったの二人だけだ”というものがあります。この考えはあまりに世界を暗く捉えていないでしょうか? 主人公を、プレイヤーの分身をあまりに特別なものとしていないでしょうか? そしてこれはこのシナリオ一本に限ったことではないのです。どのシナリオにおいても、ヒロイン達は主人公によってしか救われないのです。

 つまりこのゲーム全体における、最大の欠陥はこういうことです。
「ちりんちりんなどとやってる間に、舞は一人きりで終わりようのない戦いを続け、佐祐理は誰も救われない友情ごっこを続け、あゆは眠り続け、栞は惨めな気分のまま死んでいく。なぜなら、彼女たちを救えるのは世界でただ一人、主人公だけだからだ。他の人間は全て冷たい」

 Kanonの欠陥をもっとも端的に表しているシナリオ、それが川澄舞のシナリオです。


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