肌ゲーファンというものは、誰もが同じゲームをプレイして、同じような評価をしている。このコピペが笑えない、現実の意見を示しているということは、つまりそういうことではないだろうか?
これは自然とそうなっているのだろうか? 誰もが無意識に同じような感想を持っているのだろうか? 無論、そんなことなどありえない。本来人の感覚は十人十色であるはずなのに同じような感想ばかりが出るということは、二つの可能性が考えられる。ひとつは、クオリティに明確な差がある場合。つまり誰もが面白いといってるものは、本当に面白いというケース。そしてもうひとつは、誰もが自分で考えずに広告や他人の感想に頼ってゲームを選びプレイし、先入観にしたがって(その先入観を自分で修正せず)感想を述べている、というケースだ。
これはどちらのケースだろうか? 私には分からない。
だが言えるのは、どちらのケースであるとしても肌ゲー業界の未来は暗いと言わざるをえない。前者ならば、このコピペに組み込まれたタイトルを数えて欲しい。2年ほどというスパンから選んでいるのにこの数字だ。明確な良作が年間10タイトルも出ない。それは全タイトルの何パーセントなのだろう? 考える気にもならない。果たしてそんな業界に未来はあるのだろうか。
そして後者であるのなら、彼らプレイヤーはお仕着せのゲームをプレイし、誰もが同じようなゲームで喜んでいる。その結果何が起こるだろうか。そう、誰かが面白いと言ったものしか、つまり広告に資金を費やせるような作品――つまり大作と呼ばれるものや、有名メーカーの作品――しかプレイしなくなるだろう。そう、そのようなものしか売れないという時代が遠からず来るのだ。こんなちいさな市場であるにもかかわらず大作しか売れない。いきおい、中小メーカーの参入は縮小していくだろう。中小メーカーに元気がない業界に未来があるとは思えない。
この論に対する反論:『秋桜の空に』という明確な反例がすでにコピペに組み込まれているのを無視している。